古事記物語 年表
章の順を軸にしています。この作品では原文から年を直接定められる出来事が一つもないため、年代は付けていません——よりどころがなければ年表にせず、推算もしない。原文の年にかかわる言い方は、年数(「三年の間」)・年齢(「おん年百三十七」)・「ある年」のたぐいで、どの年かを決められるものはありません。原文の時の言い方(「あるとき」「後に」「まもなく」)はそのまま出来事に添えています。どの出来事も原文の一文にさかのぼれます。
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出来事 205 件 · 原文から西暦の年は読み取れない
年代不詳
天の岩屋 · 📍 [[下界]] · そのうえに
須佐之男命には、あんなひどい乱暴をなすった罰として、ご身代をすっかりさし出させ、そのうえに、りっぱなおひげも切りとり、手足の爪まではぎとって、下界へ追いくだしてしまいました。
むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[因幡の気多という海岸]]
大国主神 うさぎ
大国主神は、話を聞いてかわいそうだとおぼしめして、「それでは早くあすこの川口へ行って、ま水でからだじゅうをよく洗って、そこいらにあるかばの花をむしって、それを下に敷いて寝ころんでいてごらん。そうすれば、ちゃんともとのとおりになおるから」
むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[高天原]]
そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちまちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になってお起きあがりになりました。
おしの皇子・その二 · 📍 [[丹波]]
垂仁天皇 兄媛(道能宇斯王の娘) 弟媛(道能宇斯王の娘) 円野媛
天皇は兄媛とそのつぎの弟媛とだけをお抱えになって、あとの二人はそのまま家へかえしておしまいになりました。
赤い玉 · まる八年の間
すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひからびしおれ、病みつかれて、それはそれは苦しい目を見ました。それでとうとう弱り果てて泣く泣く母上の女神におわびをしました。女神はそのときやっとのろいをといてやりました。
難波のお宮・その二
仁徳天皇 [[八田若郎女]]
天皇はそれといっしょに、八田若郎女においとまをおつかわしになりました。しかしそのかわりには、郎女の名まえをいつまでも伝え残すために、八田部という部族をおこしらえになりました。
うし飼、うま飼
袁祁王はそのことだけはどこまでもご辞退になりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。後に顕宗天皇と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。