by @kojiki-monogatari

古事記物語 年表

章の順を軸にしています。この作品では原文から年を直接定められる出来事が一つもないため、年代は付けていません——よりどころがなければ年表にせず、推算もしない。原文の年にかかわる言い方は、年数(「三年の間」)・年齢(「おん年百三十七」)・「ある年」のたぐいで、どの年かを決められるものはありません。原文の時の言い方(「あるとき」「後に」「まもなく」)はそのまま出来事に添えています。どの出来事も原文の一文にさかのぼれます。

⭐ 人物相関星図 → · 📖 原典を読む → · 🗂 人物索引 → · 📍 場所 →

出来事 205 件 · 原文から西暦の年は読み取れない

年代不詳

女神の死
伊弉諾神と伊弉冉神がお生まれになった。

女神の死

伊弉諾神 伊弉冉神

伊弉諾神と伊弉冉神とおっしゃる男神女神がお生まれになりました。

女神の死
伊弉諾神と伊弉冉神が日本の島々をお作りになった。

女神の死

伊弉諾神 伊弉冉神

お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿をたててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに淡路島をおこしらえになり、それから伊予、讃岐、阿波、土佐とつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐の島、それから、そのじぶん筑紫といった今の九州と、壱岐、対島、佐渡の三つの島をお作りになりました。そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島というお名まえをおつけになりました。

女神の死
伊弉冉神は火の神を生んでやけどを負い、おかくれになった。

女神の死

伊弉諾神 伊弉冉神 火の神

ところがおいたわしいことには、伊弉冉神は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。

女神の死
伊弉諾神は伊弉冉神を比婆の山に葬った。

女神の死 · 📍 [[比婆の山]]

伊弉諾神 伊弉冉神

そして、お涙のうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲の国と伯耆の国とのさかいにある比婆の山にお葬りになりました。

女神の死
伊弉諾神は火の神を斬り殺した。

女神の死

伊弉諾神 火の神

伊弉諾神は、そのあとで、さっそく十拳の剣という長い剣を引きぬいて、女神の災のもとになった火の神を、一うちに斬り殺してしまいになりました。

女神の死
伊弉諾神は大岩で坂の口をふさぎ、伊弉冉神と別れた。

女神の死 · 📍 [[黄泉比良坂]]

伊弉諾神 伊弉冉神

神はそれをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩をひっかかえていらしって、それを押しつけて、坂の口をふさいでおしまいになりました。

女神の死
伊弉諾神の禊から天照大神、月読命、建速須佐之男命が生まれた。

女神の死

伊弉諾神 天照大神 月読命 須佐之男命

そしてしまいに、左の目をお洗いになると、それといっしょに、それはそれは美しい、貴い女神がお生まれになりました。

女神の死
伊弉諾神は三神に治める場所をお命じになった。

女神の死 · 📍 [[高天原]]

伊弉諾神 天照大神 月読命 須佐之男命

「おまえは天へのぼって高天原を治めよ」とおっしゃいました。それから月読命には、「おまえは夜の国を治めよ」とお言いつけになり、三ばんめの須佐之男命には、「おまえは大海の上を治めよ」とお言いわたしになりました。

天の岩屋
伊弉諾命が須佐之男命を国から追い出した。

天の岩屋

伊弉諾神 須佐之男命

「そんなかってな子は、この国へおくわけにゆかない。どこへなりと出て行け」とおっしゃいました。

天の岩屋
天照大神が天の岩屋に隠れた。

天の岩屋 · 📍 [[天の岩屋]]

天照大神

女神は、命のあまりの乱暴さにとうとういたたまれなくおなりになって、天の岩屋という石室の中へお隠れになりました。

天の岩屋
天照大神が隠れたため、世界が暗闇になった。

天の岩屋

天照大神

そのお方がお姿をお隠しになるといっしょに、高天原も下界の地の上も、一度にみんなまっ暗がりになって、それこそ、昼と夜との区別もない、長い長いやみの世界になってしまいました。

天の岩屋
天照大神と須佐之男命が子を生み、天忍穂耳命が生まれた。

天の岩屋 · 📍 [[天安河]]

天照大神 天忍穂耳命 須佐之男命

その神さまが、天忍穂耳命です。

天の岩屋
天照大神が岩屋から出て、世界に昼が戻った。

天の岩屋 · 📍 [[天の岩屋]]

天照大神

すると、さっきから、岩屋のそばに隠れて待ちかまえていた、手力男命という大力の神さまが、いきなり、女神のお手を取って、すっかり外へお引き出し申しました。

天の岩屋
須佐之男命は罰を受け、下界へ追いくだされた。

天の岩屋 · 📍 [[下界]] · そのうえに

須佐之男命

須佐之男命には、あんなひどい乱暴をなすった罰として、ご身代をすっかりさし出させ、そのうえに、りっぱなおひげも切りとり、手足の爪まではぎとって、下界へ追いくだしてしまいました。

天の岩屋
須佐之男命が大気都比売命を剣で切り殺した。

天の岩屋

須佐之男命 大気都比売命

いきなり剣を抜いて、大気都比売命を一うちに切り殺しておしまいになりました。

天の岩屋
大気都比売命の死がいから蚕や穀物が生まれた。

天の岩屋

大気都比売命

そうすると、その死がいの頭から、かいこが生まれ、両方の目にいねがなり、二つの耳にあわがなりました。

八俣の大蛇
須佐之男命が八俣の大蛇を切り刻んで退治した。

八俣の大蛇 · 📍 [[出雲の国]]

須佐之男命 八俣の大蛇

命はとうとう、大きな大きな大じゃの胴体をずたずたに切り刻んでおしまいになりました。

八俣の大蛇
須佐之男命は櫛名田媛を妻として迎えた。

八俣の大蛇

須佐之男命 櫛名田媛

命は、櫛名田媛をおもらいになると

八俣の大蛇
須佐之男命は大蛇の尾から出た剣を天照大神に献上した。

八俣の大蛇

須佐之男命 天照大神

その剣はのちに天照大神へご献上になりました。

八俣の大蛇
須佐之男命は櫛名田媛と住む御殿を建てた。

八俣の大蛇 · 📍 [[須加]]

須佐之男命 櫛名田媛

これはよいところだ」とおっしゃって、そこへ御殿をおたてになりました。

八俣の大蛇
須佐之男命は足名椎を宮の役人の頭に任じた。

八俣の大蛇 · 📍 [[須加]]

須佐之男命 足名椎

そして、足名椎神をそのお宮の役人の頭になさいました。

八俣の大蛇
須佐之男命の八代目の孫の子として大国主神が生まれた。

八俣の大蛇

須佐之男命 大国主神

その八代目のお孫さまのお子さまに、大国主神、またの名を大穴牟遅神とおっしゃるりっぱな神さまがお生まれになりました。

むかでの室、へびの室・その一
大国主神の教えで、うさぎの傷が治った

むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[因幡の気多という海岸]]

大国主神 うさぎ

大国主神は、話を聞いてかわいそうだとおぼしめして、「それでは早くあすこの川口へ行って、ま水でからだじゅうをよく洗って、そこいらにあるかばの花をむしって、それを下に敷いて寝ころんでいてごらん。そうすれば、ちゃんともとのとおりになおるから」

むかでの室、へびの室・その一
八上媛は八十神を拒み、大国主神を選んだ

むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[因幡]] · まもなく

八十神 大国主神 八上媛

「いえいえ、いくらお言いになりましても、あなたがたのご自由にはなりません。私は、あそこにいらっしゃる大国主神のお嫁にしていただくのです」と申しました。

むかでの室、へびの室・その一
八十神が大国主神を焼けた石で殺した

むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[伯耆の国の手間の山]]

八十神 大国主神

そのままただれ死にに死んでおしまいになりました。

むかでの室、へびの室・その一
高皇産霊神が貝の神々を遣わし、大国主神を生き返らせた

むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[高天原]]

大国主神のおかあさま 高皇産霊神 大国主神

そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちまちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になってお起きあがりになりました。

むかでの室、へびの室・その一
八十神が大国主神を木にはさんで殺した

むかでの室、へびの室・その一 · また

八十神 大国主神

ふいにポンとくさびを打ちはなして、はさみ殺しに殺してしまいました。

むかでの室、へびの室・その一
大国主神のおかあさまが大国主神を生き返らせた

むかでの室、へびの室・その一 · しまいに

大国主神のおかあさま 大国主神

そしていっしょうけんめいに介抱して、ようようのことで再びお生きかえらせになりました。

むかでの室、へびの室・その一
おかあさまは大国主神を須佐之男命のもとへ向かわせた

むかでの室、へびの室・その一 · 📍 [[根堅国]]

大国主神のおかあさま 大国主神 須佐之男命

こう言って、若い子の神を、そのままそちらへ立ってお行かせになりました。

むかでの室、へびの室・その一
須勢理媛は比礼を渡し、大国主神をへびから守った

むかでの室、へびの室・その一 · その晩

須勢理媛 大国主神

それでご自分の、比礼といって、肩かけのように使うきれを、そっと大国主神におわたしになって、「もしへびがくいつきにまいりましたら、このきれを三度振って追いのけておしまいなさい」とおっしゃいました。

むかでの室、へびの室・その一
須佐之男命が野原に火を放ち、大国主神は穴に隠れて助かった

むかでの室、へびの室・その一

須佐之男命 大国主神

若い神は、すぐそのわけをおさとりになって、足の下を、とんときつく踏んでごらんになりますと、そこは、ちゃんと下が大きな穴になっていたので、からだごとすっぽりとその中へ落ちこみました。

むかでの室、へびの室・その二
大国主神は須勢理媛を背負って御殿から逃げ出した。

むかでの室、へびの室・その二

大国主神 須勢理媛

急いで須勢理媛を背なかにおぶって、そっと御殿をお逃げ出しになりました。

むかでの室、へびの室・その二
須佐之男命は大国主神に国の神の頭となるよう命じ、娘を嫁にすると告げた。

むかでの室、へびの室・その二 · 📍 [[黄泉比良坂]]

須佐之男命 大国主神 八十神 須勢理媛

そちが国の神の頭になって、宇迦の山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその娘はおまえのお嫁にくれてやる。

むかでの室、へびの室・その二
大国主神は八十神を討ち滅ぼした。

むかでの室、へびの室・その二

大国主神 八十神

とうとう一人ももらさず亡ぼしておしまいになりました。

むかでの室、へびの室・その二
大国主神は国の神の頭となり、須勢理媛と暮らした。

むかでの室、へびの室・その二 · 📍 [[宇迦の山]]

大国主神 須勢理媛

そして、国の神の頭になって、宇迦の山の下に御殿をおたてになり、須勢理媛と二人で楽しくおくらしになりました。

むかでの室、へびの室・その二
大国主神は少名毘古那神とともに国を開き固めることになった。

むかでの室、へびの室・その二

大国主神 少名毘古那神

おまえは大国主神ときょうだいになって二人で国々を開き固めて行け

むかでの室、へびの室・その二
少名毘古那神は常世国へ行った。

むかでの室、へびの室・その二 · 📍 [[常世国]] · あとになると

少名毘古那神

少名毘古那神は、あとになると、急に常世国という、海の向こうの遠い国へ行っておしまいになりました。

むかでの室、へびの室・その二
大国主神は大年神をまつり、ともに国を広げた。

むかでの室、へびの室・その二 · 📍 [[大和の御諸の山]]

大国主神 大年神

大国主神はお言葉のとおりに、そこへおまつりして、その神さまと二人でまただんだんに国を広げておゆきになりました。

きじのお使い
天若日子は下照比売を妻に迎えた。

きじのお使い

天若日子 下照比売

下へおり着くといっしょに、大国主神の娘の下照比売をまたお嫁にもらった

きじのお使い
天若日子は名鳴女を射殺した。

きじのお使い

天若日子 名鳴女

いきなりそのきじを射殺してしまいました

きじのお使い
高皇産霊神の矢が天若日子を射殺した。

きじのお使い

高皇産霊神 天若日子

その矢は、若日子がちょうど下界であおむきに寝ていた胸のまん中を、ぷすりと突き刺して一ぺんで殺してしまいました

きじのお使い
建御名方神は降伏し、国を大空の神の子に譲ると誓った。

きじのお使い · 📍 [[信濃の諏訪湖]]

建御名方神 建御雷神

また、父や兄の申しあげましたとおりに、この葦原の中つ国は、大空の神のお子さまにさしあげますでございます

きじのお使い
大国主神は中つ国を大空の神の子に譲った。

きじのお使い

大国主神 建御雷神

この中つ国はおおせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげます

きじのお使い
大国主神はその場で亡くなった。

きじのお使い

大国主神

こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいになりました

笠沙のお宮
秋津師毘売命が日子番能邇邇芸命を生んだ。

笠沙のお宮 · ちょうどそのときに

天忍穂耳命 秋津師毘売命 日子番能邇邇芸命

お妃の秋津師毘売命が男のお子さまをお生みになりました。

笠沙のお宮
天照大神と高皇産霊神が日子番能邇邇芸命に中つ国を治めるよう命じた。

笠沙のお宮

天照大神 高皇産霊神 日子番能邇邇芸命

「下界に見えるあの中つ国は、おまえの治める国であるぞ」とおっしゃいました。

笠沙のお宮
猿田彦神が日子番能邇邇芸命を迎え、道案内を申し出た。

笠沙のお宮

日子番能邇邇芸命 猿田彦神

及ばずながら私がお道筋をご案内申しあげたいと存じまして、お迎えにまいりましたのでございます

笠沙のお宮
日子番能邇邇芸命が笠沙の岬に住むことを決めた。

笠沙のお宮 · 📍 [[日向の笠沙の岬]] · そのうちに

日子番能邇邇芸命

それでとうとう最後にそこへお住まいになることにおきめになりました。

笠沙のお宮
猿田彦神が海に引き入れられて、おぼれ死んだ。

笠沙のお宮 · 📍 [[伊勢の阿坂]] · あるとき

猿田彦神

とうとうそれなり海の中へ引き入れられて、おぼれ死にに死んでしまいました。

笠沙のお宮
日子番能邇邇芸命が木色咲耶媛と婚礼をした。

笠沙のお宮

日子番能邇邇芸命 木色咲耶媛

命は非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をなさいました。

笠沙のお宮
日子番能邇邇芸命が石長媛を父のもとへ送り返した。

笠沙のお宮

日子番能邇邇芸命 石長媛

そのまますぐに、父の神の方へお送りかえしになりました。

笠沙のお宮
木色咲耶媛が火照命、火須勢理命、火遠理命を生んだ。

笠沙のお宮 · そのうちに

木色咲耶媛 火照命 火須勢理命 火遠理命

お子さまは、ちゃんとご無事に三人もお生まれになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その一
火照命と火遠理命が猟の道具を取り替えた

満潮の玉、干潮の玉・その一 · あるとき

火照命 火遠理命

とうとうしまいに、いやいやながらお取りかえになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その一
火遠理命が火照命の釣り針を海に落とした

満潮の玉、干潮の玉・その一 · 📍 [[海]]

火遠理命 火照命

しまいにはつり針を海の中へなくしておしまいになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その一
塩椎神が火遠理命を船に乗せ、海へ送り出した

満潮の玉、干潮の玉・その一

火遠理命 綿津見神

その中へ火遠理命をお乗せ申しました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火遠理命は豊玉媛を妻に迎えた。

満潮の玉、干潮の玉・その二

火遠理命 豊玉媛

そして豊玉媛をお嫁にさしあげました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火遠理命は海の宮で三年を過ごした。

満潮の玉、干潮の玉・その二 · 三年という月日

火遠理命

そのうちに、いつのまにか三年という月日がたちました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火遠理命は海の神から釣り針と二つの玉を受け取った。

満潮の玉、干潮の玉・その二

火遠理命

こう言って、そのたいせつな二つの玉を命にさしあげました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火遠理命は海の神の使いのわにに浜まで送られた。

満潮の玉、干潮の玉・その二

火遠理命

すると、わにはうけあったとおりに、一日のうちに命をもとの浜までおつれ申しました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火照命は貧乏になった。

満潮の玉、干潮の玉・その二 · 三年の間

火遠理命 火照命

おあにいさまは、三年の間にすっかり貧乏になっておしまいになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火照命は生涯火遠理命に奉公すると誓った。

満潮の玉、干潮の玉・その二

火遠理命 火照命

私はこれからしょうがい、夜昼おまえのうちの番をして、おまえに奉公するから」と、かたくお誓いになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
豊玉媛は海から出てきて、まもなく出産すると告げた。

満潮の玉、干潮の玉・その二 · ある日

豊玉媛

私はかねて身重になっておりましたが、もうお産をいたしますときがまいりました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
豊玉媛は鵜茅草葺不合命を産み、火遠理命と別れて海へ帰った。

満潮の玉、干潮の玉・その二

豊玉媛 鵜茅草葺不合命 火遠理命

そしてそれなりとうとう一生、二度と出ていらっしゃいませんでした。

満潮の玉、干潮の玉・その二
玉依媛は鵜茅草葺不合命を育てた。

満潮の玉、干潮の玉・その二

玉依媛 鵜茅草葺不合命

お妹さまの玉依媛をこちらへよこして、その方の手で育てておもらいになりました。

満潮の玉、干潮の玉・その二
火遠理命は高千穂の宮に住んだ。

満潮の玉、干潮の玉・その二 · 📍 [[高千穂の宮]] · とうとう五百八十のお年まで

火遠理命

命は高千穂の宮というお宮に、とうとう五百八十のお年までお住まいになりました。

八咫烏・その一
鵜茅草葺不合命は玉依媛を妃に立てた。

八咫烏・その一

鵜茅草葺不合命 玉依媛

鵜茅草葺不合命は、ご成人の後、玉依媛を改めてお妃にお立てになって

八咫烏・その一
宇豆彦は神武天皇のお供についた。

八咫烏・その一 · 📍 [[速吸門]]

神武天皇 宇豆彦

「かしこまりました。ご奉公申しあげます」とお答え申しました

八咫烏・その一
五瀬命は傷が悪化し、亡くなった。

八咫烏・その一 · 📍 [[紀伊国の男の水門]]

五瀬命

命は、「ああ、くやしい。かれらから負わされた手傷で死ぬるのか」と残念そうなお声でお叫びになりながら、とうとうそれなりおかくれになりました。

八咫烏・その一
高倉下の太刀を受け、神武天皇と軍勢は正気を取り戻した。

八咫烏・その一 · 📍 [[熊野]]

神武天皇 高倉下

命はそれといっしょに、ふと正気におかえりになって

八咫烏・その一
兄宇迦斯は自分の仕掛けた罠で押し殺された。

八咫烏・その一 · 📍 [[宇陀]]

兄宇迦斯

兄宇迦斯は追いまくられて逃げこむはずみに、自分のしかけたつり天じょうがどしんと落ちて、たちまち押し殺されてしまいました。

八咫烏・その一
神武天皇は長髄彦を攻め亡ぼした。

八咫烏・その一 · 📍 [[鳥見]]

神武天皇 長髄彦

そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしておしまいになりました。

八咫烏・その一
邇芸速日命は神武天皇に仕え、宝物を献上した。

八咫烏・その一

邇芸速日命 神武天皇

「私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、ご奉公に出ましてございます」と申しあげました。そして大空の神の血筋だという印の宝物を、命に献上しました。

八咫烏・その一
神武天皇は兄師木と弟師木を征伐した。

八咫烏・その一

神武天皇 兄師木 弟師木

命はそれから兄師木、弟師木というきょうだいのものをご征伐になりました。

八咫烏・その一
神武天皇は天下を平定し、天皇の位についた。

八咫烏・その一 · 📍 [[大和の橿原宮]]

神武天皇

それでいよいよ大和の橿原宮で、われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。

八咫烏・その二
天皇は阿比良媛を妃に迎えた。

八咫烏・その二 · 📍 [[日向]] · はじめ日向においでになりますときに

神武天皇 阿比良媛

阿比良媛という方をお妃に召して

八咫烏・その二
伊須気依媛が皇后となった。

八咫烏・その二

神武天皇 伊須気依媛

媛はまもなく宮中におあがりになって、貴い皇后におなりになりました。

八咫烏・その二
天皇と伊須気依媛の間に三人の男児が生まれた。

八咫烏・その二

神武天皇 伊須気依媛 日子八井命 神八井耳命 綏靖天皇

お二人の中には、日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命と申す三人の男のお子がお生まれになりました。

八咫烏・その二
天皇は百三十七歳で亡くなり、畝火山に葬られた。

八咫烏・その二 · 📍 [[畝火山]] · 後に

神武天皇

天皇は、後におん年百三十七でおかくれになりました。おなきがらは畝火山にお葬り申しあげました。

八咫烏・その二
多芸志耳命は異母弟三人を殺そうと企てた。

八咫烏・その二 · まもなく

多芸志耳命 日子八井命 神八井耳命 綏靖天皇

多芸志耳命が、お腹ちがいの弟さまの日子八井命たち三人をお殺し申して、自分ひとりがかってなことをしようとお企てになりました。

八咫烏・その二
神沼河耳命は多芸志耳命を殺した。

八咫烏・その二

綏靖天皇 多芸志耳命

弟さまの神沼河耳命がその刀をとってお進みになり、ひといきに命を殺しておしまいになりました。

八咫烏・その二
神沼河耳命が天皇の位につき、葛城宮に移った。

八咫烏・その二 · 📍 [[大和の葛城宮]]

綏靖天皇 神八井耳命

それで、弟の命はお二人のおあにいさまをおいてお位におつきになり、大和の葛城宮にお移りになって、天下をお治めになりました。

八咫烏・その二
綏靖天皇は四十五歳で亡くなった。

八咫烏・その二

綏靖天皇

天皇はご短命で、おん年四十五でお隠れになりました。

赤い盾、黒い盾
崇神天皇が第十代目に即位した。

赤い盾、黒い盾

崇神天皇

第十代目に崇神天皇がお位におつきになりました。

赤い盾、黒い盾
豊鉏入媛が伊勢の天照大神のお社に仕え、祭りを司った。

赤い盾、黒い盾 · 📍 [[伊勢]] · はじめて

豊鉏入媛

皇女、豊鉏入媛が、はじめて伊勢の天照大神のお社に仕えて、そのお祭りをお司りになりました。

赤い盾、黒い盾
倭日子命が亡くなり、人がきを墓に埋めるならわしが始まった。

赤い盾、黒い盾

倭日子命

皇子倭日子命がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋めてお供をさせるならわしがはじまりました。

赤い盾、黒い盾
大物主神が疫病を鎮めるため、大多根子に社を祀らせるよう告げた。

赤い盾、黒い盾 · 📍 [[三輪の社]] · その夜

大物主神 大多根子

「こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡ぼしたいと思うならば、大多根子というものにわしの社を祀らせよ」とお告げになりました。

赤い盾、黒い盾
崇神天皇が大多根子を三輪の社の神主にした。

赤い盾、黒い盾 · 📍 [[三輪の社]] · さっそく

崇神天皇 大多根子

天皇は、さっそくこの大多根子を三輪の社の神主にして、大物主神のお祭りをおさせになりました。

赤い盾、黒い盾
活玉依媛は婿が大物主神だと知った。

赤い盾、黒い盾 · 📍 [[三輪山]]

大物主神 活玉依媛

それで、はじめて、お婿さんは大物主神でいらしったことがわかりました。

赤い盾、黒い盾
崇神天皇の祭祀により疫病が鎮まり、天下が安らかになった。

赤い盾、黒い盾 · そのために

崇神天皇

そのために、やく病はやがてすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。

赤い盾、黒い盾
崇神天皇方が建波邇安王を討ち、建波邇安王は戦死した。

赤い盾、黒い盾 · 📍 [[山城の木津川]]

崇神天皇 建波邇安王

その矢はねらいたがわず建波邇安王を刺し殺してしまいました。

おしの皇子・その一
垂仁天皇が崇神天皇のあとを継いで即位した。

おしの皇子・その一

崇神天皇 垂仁天皇

崇神天皇のおあとには、お子さまの垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。

おしの皇子・その一
垂仁天皇は沙本媛を皇后に迎え、玉垣の宮に移った。

おしの皇子・その一 · 📍 [[大和の玉垣の宮]]

垂仁天皇 沙本媛

天皇は、沙本毘古王という方のお妹さまで沙本媛とおっしゃる方を皇后にお召しになって、大和の玉垣の宮にお移りになりました。

おしの皇子・その一
沙本媛は沙本毘古王と天皇を殺す企みを白状した。

おしの皇子・その一

垂仁天皇 沙本媛 沙本毘古王

おあにいさまとお二人のおそれ多いたくらみをすっかり白状しておしまいになりました。

おしの皇子・その一
沙本媛はとりでで本牟智別王を生んだ。

おしの皇子・その一

垂仁天皇 沙本媛 本牟智別王

皇后はおあにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりました。

おしの皇子・その一
沙本媛は本牟智別王をとりでの外へ出し、天皇に養育を頼んだ。

おしの皇子・その一

沙本媛 本牟智別王 垂仁天皇

皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇の軍勢の者にお見せになり、 「この御子をあなたのお子さまとおぼしめしてくださるならば、どうぞひきとってご養育なすってくださいまし」と、天皇にお伝えさせになりました。

おしの皇子・その一
天皇は宮中の玉飾りの細工人たちの知行地を取り上げた。

おしの皇子・その一

垂仁天皇

天皇はそのために、宮中の玉飾りの細工人たちまでお憎みになって、それらの人々が知行にいただいていた土地を、いきなり残らず取りあげておしまいになりました。

おしの皇子・その一
天皇は皇子を本牟智別王と名づけた。

おしの皇子・その一

垂仁天皇 本牟智別王

あの御子は、ちょうどとりでが火をかけられて焼けるさいちゅうに、その火の中でお生まれになったのでございますから、本牟智別王とお呼び申したらよろしゅうございましょう

おしの皇子・その一
垂仁天皇はとりでを攻め落として沙本毘古王を殺し、沙本媛も火に飛びこんで死んだ。

おしの皇子・その一

垂仁天皇 沙本毘古王 沙本媛

天皇はもういよいよしかたなしに、一気にとりでを攻め落として、沙本毘古を殺させておしまいになりました。 皇后も、それといっしょに、えんえんと燃えあがる火の中に飛びこんでおしまいになりました。

おしの皇子・その二
天皇は本牟智別王を船に乗せて遊ばせた。

おしの皇子・その二 · 📍 [[市師の池]]

垂仁天皇 本牟智別王

その中へごいっしょにお乗りになって、皇子をお遊ばせになりました。

おしの皇子・その二
本牟智別王は初めて「あわわ」と声を発した。

おしの皇子・その二 · あるとき

本牟智別王

お生まれになってからはじめて、「あわわ、あわわ」とおおせになりました。

おしの皇子・その二
天皇は夢で、社を造り直せば王の口がきけるとのお告げを聞いた。

おしの皇子・その二 · そのうちに、ある晩

垂仁天皇 本牟智別王

「私のお社を天皇のお宮のとおりにりっぱに作り直して下さるなら王は必ず口がきけるようにおなりになる」と、こういうお告げをお聞きになりました。

おしの皇子・その二
天皇は曙立王と兎上王を本牟智別王に付き添わせ、出雲へ遣わした。

おしの皇子・その二 · 📍 [[出雲]]

垂仁天皇 本牟智別王 曙立王 兎上王

天皇はすぐに曙立王と兎上王との二人を本牟智別王につけて、出雲へおつかわしになりました。

おしの皇子・その二
本牟智別王は出雲の大神の社に参拝した。

おしの皇子・その二 · 📍 [[出雲]]

本牟智別王

皇子は、いよいよ出雲にお着きになって、大神のお社におまいりになりました。

おしの皇子・その二
本牟智別王は肥長媛を妃に迎えた。

おしの皇子・その二

本牟智別王 肥長媛

皇子はそれからほかのお宮へお移りになって、肥長媛という人をお妃におもらいになりました。

おしの皇子・その二
蛇の姿と知った本牟智別王は、肥長媛から船で逃げた。

おしの皇子・その二

本牟智別王 肥長媛

皇子はびっくりなすって、みんなとごいっしょに船に乗ってお逃げになりました。

おしの皇子・その二
天皇は兎上王を出雲へ遣わし、大神の社を造営させた。

おしの皇子・その二 · 📍 [[出雲]]

垂仁天皇 兎上王

そしてすぐに兎上王をまた再び出雲へおくだしになって、大神のお社をりっぱにご造営になりました。

おしの皇子・その二
天皇は兄媛と弟媛を召し抱え、円野媛ら二人を帰した。

おしの皇子・その二 · 📍 [[丹波]]

垂仁天皇 兄媛(道能宇斯王の娘) 弟媛(道能宇斯王の娘) 円野媛

天皇は兄媛とそのつぎの弟媛とだけをお抱えになって、あとの二人はそのまま家へかえしておしまいになりました。

おしの皇子・その二
円野媛は深い淵に身を投げて死んだ。

おしの皇子・その二 · 📍 [[山城の乙訓]]

円野媛

途中の山城の乙訓というところまでかえりますと、あわれにも、そこの深いふちに身を投げて死んでしまいました。

おしの皇子・その二
天皇は多遅摩毛理に常世国からたちばなの実を取って来るよう命じた。

おしの皇子・その二 · 📍 [[常世国]] · ある年

垂仁天皇 多遅摩毛理

それから天皇はある年、多遅摩毛理という者に、常世国へ行って、香の高いたちばなの実を取って来いとおおせつけになりました。

おしの皇子・その二
多遅摩毛理が帰る前に天皇は亡くなった。

おしの皇子・その二

垂仁天皇 多遅摩毛理

しかし天皇はその前に、もうとっくにおかくれになっていました。

おしの皇子・その二
多遅摩毛理は天皇の墓前で叫び続け、叫び死んだ。

おしの皇子・その二

多遅摩毛理

とうとうそれなり叫び死にに死んでしまいました。

白い鳥・その一
若帯日子命が景行天皇の跡を継ぐ。

白い鳥・その一

景行天皇 若帯日子命

後におあとをお継ぎになった若帯日子命

白い鳥・その一
景行天皇が兄媛と弟媛を召すよう大碓命に命じる。

白い鳥・その一 · 📍 [[美濃]] · あるとき

景行天皇 大碓命 兄媛(神大根王の娘) 弟媛(神大根王の娘)

皇子の大碓命にお言いつけになって、二人を召しのぼせにお遣わしになりました。

白い鳥・その一
大碓命が兄媛と弟媛を自分の召使いにする。

白い鳥・その一

大碓命 兄媛(神大根王の娘) 弟媛(神大根王の娘)

大碓命は、その二人の者をご自分のお召使いに取っておしまいになり

白い鳥・その一
景行天皇は、大碓命が兄媛・弟媛だといつわって差し出した別の二人の女を見抜いたが、そのまま御殿に置いた。

白い鳥・その一

景行天皇 大碓命

二人をそのまま御殿にお置きになりました。

白い鳥・その一
倭建命が熊襲建兄弟を討ち、倭建命の名を得る。

白い鳥・その一

倭建命 熊襲建 熊襲建の弟

これからあなたのお名まえは倭建命とお呼び申したい

白い鳥・その一
倭建命が出雲建をだまして切り殺す。

白い鳥・その一 · 📍 [[出雲の国]]

倭建命 出雲建

たちまちその悪者を切り殺しておしまいになりました

白い鳥・その一
小碓命は兄の大碓命をかわやで待ち受けて殺し、死体をこもにくるんで捨てた。

白い鳥・その一 · 朝早く

倭建命 大碓命

ただ朝早く、おあにいさまがかわやにはいりますところを待ち受けて、つかみくじき、手足をむしりとって、死体をこもにくるんでうッちゃりました

白い鳥・その一
景行天皇は小碓命の荒い気性を恐れ、西の熊襲建きょうだいを討つよう命じた。

白い鳥・その一 · まもなく

景行天皇 倭建命

そちはこれから行って、かれらを打ちとってまいれ

白い鳥・その一
小碓命は伊勢でおば上の倭媛に別れを告げ、上着・はかま・懐剣を授かった。

白い鳥・その一 · 📍 [[伊勢]]

倭建命 倭媛

するとおば上からは、ご料のお上着と、おはかま着と、懐剣とを、お別れのお印におくだしになりました

白い鳥・その二
倭建命が相模の国造を切り殺した。

白い鳥・その二 · 📍 [[相模の国]]

倭建命 相模の国造

そしていきなり、その悪い国造と、手下の者どもを、ことごとく切り殺して、火をつけて焼いておしまいになりました。

白い鳥・その二
弟橘媛が海に身を投げ、倭建命の身代わりとなった。

白い鳥・その二 · そのとき

弟橘媛 倭建命

大波は見るまに、たちまち媛を巻きこんでしまいました。

白い鳥・その二
倭建命が老人を東国造に任じた。

白い鳥・その二 · 📍 [[酒折宮]]

東国造になった老人 倭建命

命はその答えの歌をおほめになって、そのごほうびに、老人を東国造という役におつけになりました。

白い鳥・その二
倭建命が病のため亡くなった。

白い鳥・その二 · 📍 [[能褒野]] · まもなく

倭建命

そのお歌の終わるのとともに、この世をお去りになりました。

白い鳥・その二
帯中津日子命が成務天皇の後を継いだ。

白い鳥・その二 · 後に

仲哀天皇 倭建命

その中の、帯中津日子命とおっしゃる方は、後にお祖父上の天皇のおつぎの成務天皇のおあとをお継ぎになりました。

白い鳥・その二
景行天皇が亡くなった。

白い鳥・その二

景行天皇

御父上の景行天皇は、おん年百三十七でおかくれになりました。

朝鮮征伐
仲哀天皇がお亡くなりになった。

朝鮮征伐 · そのうちにまもなく

仲哀天皇

天皇はもはやいつのまにかお息が絶えて、その場にお倒れになっていらっしゃいました。

朝鮮征伐
新羅の王が皇后に降参した。

朝鮮征伐 · 📍 [[新羅]]

神功皇后 新羅の王

すると新羅の王はすっかり怖れちぢこまって、すぐに降参してしまいました。

朝鮮征伐
息長帯媛は新羅の王をおうま飼とし、百済を領地に定めた。

朝鮮征伐 · 📍 [[新羅]]

神功皇后 新羅の王

それで皇后はさつそくお聞き届けになりまして、新羅の王をおうま飼ということにおきめになり、その隣の百済をもご領地にお定めになりました。

朝鮮征伐
息長帯媛の子が筑紫で無事に生まれた。

朝鮮征伐 · 📍 [[筑紫]]

神功皇后 応神天皇

するとお子さまは、ちゃんと筑紫へお凱旋になってからご無事にお生まれになりました。

朝鮮征伐
息長帯媛は子を大鞆命と名づけた。

朝鮮征伐 · ご誕生のとき

神功皇后 応神天皇

皇后はこれをお名まえにお取りになって、大鞆命とお名づけになりました。

朝鮮征伐
香坂王がいのししに食べられて亡くなった。

朝鮮征伐 · 📍 [[斗賀野]]

香坂王

そしてまもなくすとんと掘り倒したと思いますと、いきなり香坂皇子に飛びかかって、がつがつ皇子を食べてしまいました。

朝鮮征伐
忍熊王と伊佐比宿禰が湖水に飛び込み、溺れ死んだ。

朝鮮征伐 · 📍 [[近江]]

忍熊王 伊佐比宿禰

二人でざんぶと飛び込んで、それなり溺れ死にに死んでおしまいになりました。

朝鮮征伐
後の世に息長帯媛は神功皇后と呼ばれた。

朝鮮征伐

神功皇后

後の世の人は、この母上の皇后の、いろんな雄々しい大きなお手柄をおほめ申しあげて、お名まえを特に神功皇后とおよび申しております。

朝鮮征伐
皇后は香坂王・忍熊王の企みを気づかい、喪船を仕立ててお小さな天皇を乗せ、天皇は亡くなったと言いふらして筑紫を立った。

朝鮮征伐

神功皇后 応神天皇

お小さな天皇をその中へお乗せになりました

朝鮮征伐
香坂王と忍熊王はあとを取ろうと、皇后の軍勢を待ちうけて討ち亡ぼそうと兵を集め、摂津の斗賀野まで進軍した。

朝鮮征伐 · 📍 [[摂津の斗賀野]]

香坂王 忍熊王 神功皇后

それでまず第一番に皇后の軍勢を待ちうけて討ち亡ぼそうとおぼしめして

赤い玉
天日矛は赤い玉から現れた娘を妻にした。

赤い玉

天日矛 [[阿加流媛]]

すると赤い玉が、ふいに一人の美しい娘になりました。王子はその娘を自分のお嫁にもらいました。

赤い玉
阿加流媛は天日矛のもとを去り、後に神としてまつられた。

赤い玉 · 📍 [[摂津の難波の津]]

[[阿加流媛]] 天日矛

この女の人は後に阿加流媛という神さまとしてその土地にまつられました。

赤い玉
天日矛は但馬の人を妻に迎え、その土地にいついた。

赤い玉 · 📍 [[但馬]]

天日矛 但馬の人

後にはとうとうその土地の人をお嫁にもらって、そのままそこへいつくことにしました。

赤い玉
高額媛は神功皇后の母を生んだ。

赤い玉

高額媛 高額媛の子

この天日矛の七代目の孫にあたる高額媛という人がお生み申したのが、すなわち神功皇后のお母上でいらっしゃいました。

赤い玉
天日矛が持参した宝物は伊豆志の大神としてまつられた。

赤い玉

天日矛 伊豆志の大神

その宝物は、伊豆志の大神という名まえの神さまにしてまつられることになりました。

赤い玉
伊豆志の大神をまつった神に伊豆志乙女が生まれた。

赤い玉

伊豆志の大神 伊豆志乙女

この宝物をまつった神さまに、伊豆志乙女という女神が生まれました。

赤い玉
春山の霞男は伊豆志乙女を妻にし、子をもうけた。

赤い玉

春山の霞男 伊豆志乙女 春山の霞男の子

そして、とうとうその女神をもらってしまいました。二人の間には一人子供までできました。

赤い玉
母神ののろいで秋山の下冰男は病み、詫びた後にのろいを解かれた。

赤い玉 · まる八年の間

秋山の下冰男 秋山の下冰男・春山の霞男の母神

すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひからびしおれ、病みつかれて、それはそれは苦しい目を見ました。それでとうとう弱り果てて泣く泣く母上の女神におわびをしました。女神はそのときやっとのろいをといてやりました。

宇治の渡し
応仁天皇が政をお聞きになった。

宇治の渡し · 📍 [[大和の明の宮]]

応神天皇

大和の明の宮で、ご自身に政をお聞きになりました。

宇治の渡し
応仁天皇が近江へ巡幸した。

宇治の渡し · 📍 [[近江]] · あるとき

応神天皇

あるとき、天皇は近江へご巡幸になりました。

宇治の渡し
応仁天皇が宮主矢河枝媛を妃に迎え、宇治若郎子が生まれた。

宇治の渡し · 後に

応神天皇 宮主矢河枝媛 宇治若郎子

天皇は、この美しい矢河枝媛を、後にお妃にお召しになりました。このお妃から、宇治若郎子とおっしゃる皇子がお生まれになりました。

宇治の渡し
応仁天皇が宇治若郎子を後継者に定めた。

宇治の渡し

応神天皇 宇治若郎子

それから若郎子には、後にわしのあとを継いで天皇の位につかせることにしよう

宇治の渡し
応仁天皇が髪長媛を御殿へ召しのぼせた。

宇治の渡し

応神天皇 髪長媛

それを御殿へお召し使いになるつもりで、はるばるとお召しのぼせになりました。

宇治の渡し
大雀命が応仁天皇の許しを得て髪長媛を妃に迎えた。

宇治の渡し

仁徳天皇 髪長媛

皇子はとうから評判にも聞いていた、このきれいな人を、天皇のお許しでお妃におもらいになった

宇治の渡し
応仁天皇の求めで和邇吉師が百済から渡って来た。

宇治の渡し

応神天皇 和邇吉師

王はそれでさっそく和邇吉師という学者をよこしてまいりました。

宇治の渡し
応仁天皇が百三十歳で亡くなった。

宇治の渡し · 後に

応神天皇

天皇は後にとうとうおん年百三十でおかくれになりました。

宇治の渡し
大山守命が訶和羅前で溺れ死んだ。

宇治の渡し · 📍 [[訶和羅前]]

大山守命 宇治若郎子

そのまま訶和羅前というところまで流れていらしって、とうとうそこでおぼれ死にに死んでおしまいになりました。

宇治の渡し
宇治若郎子の死後、仁徳天皇が位に就いた。

宇治の渡し

仁徳天皇 宇治若郎子

そのうちに、若郎子皇子がふいにお若死にをなすったので、大雀命もやむをえず、ついにお位におつきになりました。後の代から仁徳天皇とお呼び申すのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。

難波のお宮・その一
仁徳天皇が即位し、岩野媛を皇后に立てた。

難波のお宮・その一 · 📍 [[難波の高津の宮]]

仁徳天皇 応神天皇 岩野媛 曽都彦

仁徳天皇はお位におのぼりになりますと、難波の高津の宮を皇居にお定めになり、葛城の曽都彦という人の娘の岩野媛という方を改めて皇后にお立てになりました。

難波のお宮・その一
仁徳天皇が三年間の租税を免じ、労役も許した。

難波のお宮・その一 · これから三年の間

仁徳天皇

どうかこれから三年の間は、しもじもから、いっさい租税をとるな。またすべての働きに使うのを許してやれ

難波のお宮・その一
仁徳天皇が租税と夫役を再開した。

難波のお宮・その一 · 三年の後

仁徳天皇

そして、そこではじめて租税や夫役をおおせつけになりました。

難波のお宮・その一
仁徳天皇が黒媛を召し上げ、宮中で召し使った。

難波のお宮・その一 · 📍 [[宮中]] · あるとき

仁徳天皇 黒媛

すぐに召しのぼせて宮中でお召し使いになりました。

難波のお宮・その一
黒媛が宮中を逃げ出して家へ帰った。

難波のお宮・その一

黒媛

黒媛はたまりかねてとうとうお宮を逃げ出しておうちへ帰ってしまいました。

難波のお宮・その一
黒媛は船から無理に下ろされ、吉備の国へ歩いて帰された。

難波のお宮・その一 · 📍 [[吉備の国]]

黒媛

黒媛をむりやりに船からひきおろさせて、はるかな吉備の国まで、わざと歩いておかえしになりました。

難波のお宮・その二
皇后の留守中、八田若郎女が天皇に寵愛された。

難波のお宮・その二 · その後

岩野媛 [[八田若郎女]]

そのおるすの間、天皇のおそばには八田若郎女という女官がお仕え申しておりました。

難波のお宮・その二
皇后は御綱柏の葉を海へ投げ捨てた。

難波のお宮・その二

岩野媛

せっかくそこまで持っておかえりになった御綱柏の葉を、すっかり海へ投げすてておしまいになりました。

難波のお宮・その二
皇后は筒木の奴里能美の家に滞在した。

難波のお宮・その二 · 📍 [[筒木]]

岩野媛

それからまた山城へひきかえして、筒木というところへおいでになり、そこに住まっている朝鮮の帰化人の奴里能美という者のおうちへおとどまりになりました。

難波のお宮・その二
天皇は八田若郎女に暇を出し、八田部を設けた。

難波のお宮・その二

仁徳天皇 [[八田若郎女]]

天皇はそれといっしょに、八田若郎女においとまをおつかわしになりました。しかしそのかわりには、郎女の名まえをいつまでも伝え残すために、八田部という部族をおこしらえになりました。

難波のお宮・その二
速総別王は女鳥王を妻にした。

難波のお宮・その二

速総別王 女鳥王

それで王はその女鳥王をお嫁になさいました。

難波のお宮・その二
天皇の兵が速総別王と女鳥王を刺し殺した。

難波のお宮・その二 · 📍 [[大和の曾爾]]

仁徳天皇 速総別王 女鳥王

お二人はそこからさらに同じ大和の曾爾というところまでいらっしゃいますと、天皇の兵がそこまで追いついて、お二人を刺し殺してしまいました。

難波のお宮・その二
山辺大楯連は女鳥王の遺体から腕飾りをはぎ取った。

難波のお宮・その二

山辺大楯連 女鳥王

連は女鳥王のお死がいのお手首に、りっぱなお腕飾りがついているのを見て、さっそくそれをはぎ取って、自分の家内に持ってかえってやりました。

難波のお宮・その二
皇后は山辺大楯連を死刑にした。

難波のお宮・その二

岩野媛 山辺大楯連

おっしゃって、ぐんぐんおいじめつけになったうえ、ようしゃなくすぐ死刑に行なわせておしまいになりました。

難波のお宮・その二
天皇は八十三歳で亡くなった。

難波のお宮・その二

仁徳天皇

天皇はついにおん年八十三でおかくれになりました。

大鈴小鈴
履仲天皇がお父上のあとを継いで即位した。

大鈴小鈴 · 📍 [[難波のお宮]]

仁徳天皇 履仲天皇

お父上の亡きおあとをおつぎになって、同じ難波のお宮で、履仲天皇としてお位におつきになりました。

大鈴小鈴
中津王が履仲天皇を殺して位を奪おうと宮に火を放った。

大鈴小鈴

中津王 履仲天皇

じき下の弟さまの中津王が、それをしおに天皇をお殺し申してお位を取ろうとおぼしめして、いきなりお宮へ火をおつけになりました。

大鈴小鈴
阿知直が履仲天皇を救い出し、大和へ逃げた。

大鈴小鈴 · 📍 [[大和]]

阿知直 履仲天皇

それを阿知直という者が、すばやくお抱え申しあげ、むりやりにうまにお乗せ申して、大和へ向かって逃げ出して行きました。

大鈴小鈴
水歯別王の命を受けた曾婆加里が中津王を刺し殺した。

大鈴小鈴

反正天皇 曾婆加里 中津王

曾婆加里は、「かしこまりました」と、ぞうさもなくおひき受けして飛んでかえり、王がかわやにおはいりになろうとするところを待ち受けて、一刺しに刺し殺してしまいました。

大鈴小鈴
水歯別王が曾婆加里を宴席で斬り殺した。

大鈴小鈴 · 今晩

反正天皇 曾婆加里

王は曾婆加里の目顔がそのさかずきで隠れるといっしょに、かねてむしろの下にかくしておおきになった剣を抜き放して、あッというまに曾婆加里の首を切り落としておしまいになりました。

大鈴小鈴
履仲天皇が崩御し、水歯別王があとを継いだ。

大鈴小鈴 · 📍 [[大和の若桜宮]] · 後に

履仲天皇 反正天皇

天皇は後に大和の若桜宮にお移りになり、しまいにおん年六十四でおかくれになりました。そのおあとは、弟さまの水歯別王がお継ぎになりました。

大鈴小鈴
若子宿禰王が允恭天皇として即位し、宮を移した。

大鈴小鈴 · 📍 [[大和の遠飛鳥宮]]

允恭天皇

反正天皇のおあとには、弟さまの若子宿禰王が允恭天皇としてお位におつきになり、大和の遠飛鳥宮へお移りになりました。

大鈴小鈴
軽皇子が穴穂王方に捕らえられ、伊予へ島流しにされた。

大鈴小鈴

木梨軽皇子 安康天皇

穴穂王は、軽皇子を、そのまま伊予へ島流しにしておしまいになりました。

大鈴小鈴
軽大郎女が軽皇子を追って伊予へ行った。

大鈴小鈴 · 📍 [[伊予]] · ついに

軽大郎女 木梨軽皇子

ついにたまりかねてはるばる伊予までおあとを追っていらっしゃいました。

大鈴小鈴
木梨軽皇子と軽大郎女がその土地で自殺した。

大鈴小鈴 · まもなく

木梨軽皇子 軽大郎女

まもなくお二人は、その土地で自殺しておしまいになりました。

しかの群、ししの群
安康天皇は軽皇子を島流しにし、即位して穴穂宮へ移った。

しかの群、ししの群 · 📍 [[大和の石上の穴穂宮]]

木梨軽皇子 安康天皇

穴穂王は、おあにいさまの軽皇子を島流しにおしになった後、第二十代の安康天皇としてお立ちになり、大和の石上の穴穂宮へおひき移りになりました。

しかの群、ししの群
安康天皇は大日下王を殺した。

しかの群、ししの群

安康天皇 大日下王

すぐに人を派せて大日下王を殺しておしまいになりました。

しかの群、ししの群
安康天皇は長田大郎女を皇后にした。

しかの群、ししの群

安康天皇 長田大郎女

そして王のお妃の長田大郎女をめしいれて自分の皇后になさいました。

しかの群、ししの群
目弱王は安康天皇を殺した。

しかの群、ししの群

目弱王 安康天皇

目弱王はそこをねらってそっと御殿へおあがりになり、おまくらもとにあった太刀を抜き放して、いきなり天皇のお首をお切りになりました。

しかの群、ししの群
大長谷皇子は黒日子王を打ち殺した。

しかの群、ししの群

雄略天皇 黒日子王

いきなりえりもとをひッつかんでひきずり出し、刀を抜くなり、一打ちに打ち殺しておしまいになりました。

しかの群、ししの群
大長谷皇子は白日子王を生き埋めにした。

しかの群、ししの群 · 📍 [[小治田]]

雄略天皇 白日子王

そしてそこへ穴を掘って、その中へまっすぐに立たせたまま、生き埋めに埋めておしまいになりました。

しかの群、ししの群
都夫良意富美は目弱王を刺し、自らも死んだ。

しかの群、ししの群

雄略天皇 目弱王 都夫良意富美

都夫良はおおせに従ってすぐに王をお刺し申した上、その刀で自分の首を切って死んでしまいました。

しかの群、ししの群
大長谷皇子は忍歯王を射落とし、埋めた。

しかの群、ししの群 · 📍 [[蚊屋野]] · そのうちに

雄略天皇 忍歯王

そのうちに皇子はすきまをねらって、さっと矢をおつがえになり、罪もない忍歯王を、だしぬけに射落としておしまいになりました。そして、なお飽き足らずに、そのおからだをずたずたに切り刻んで、それをうまの飼葉を入れるおけの中へ投げ入れて、土の中へ埋めておしまいになりました。

しかの群、ししの群
意富祁王と袁祁王は逃亡し、志自牟の家で下男として雇われた。

しかの群、ししの群 · 📍 [[志自牟]]

忍歯王 仁賢天皇 顕宗天皇 志自牟

そして固くご身分をかくして、志自牟という者のうちへ下男におやとわれになり、いやしいうし飼、うま飼の仕事をして、お命をつないでいらっしゃいました。

しかの群、ししの群
安康天皇は弟の大長谷皇子のために、大日下王の妹の若日下王を嫁にもらおうと、根臣を大日下王のもとへ遣わした。

しかの群、ししの群

安康天皇 雄略天皇 若日下王 大日下王 根臣

それで根臣という者を大日下王のところへおつかわしになって

しかの群、ししの群
大日下王は喜んで若日下王を差し出すと答えたが、使いの根臣は献上の玉かずらを途中で盗み、大日下王が断ったとうそを天皇に申しあげた。

しかの群、ししの群

根臣 大日下王 安康天皇

その玉かずらを途中で自分が盗み取ったうえ

とんぼのお歌
雄略天皇として即位し、朝倉宮に移った。

とんぼのお歌 · 📍 [[朝倉宮]] · まもなく

雄略天皇

大長谷皇子は、まもなく雄略天皇としてご即位になり、大和の朝倉宮にお移りになりました。

とんぼのお歌
雄略天皇は若日下王を皇后に立てた。

とんぼのお歌

雄略天皇 若日下王

皇后には、例の大日下王のお妹さまの若日下王をお立てになりました。

とんぼのお歌
若日下王はお宮へ上がった。

とんぼのお歌 · それからまもなく

若日下王

王はそれからまもなくお宮へおあがりになりました。

とんぼのお歌
雄略天皇は三重采女の罪を許した。

とんぼのお歌

雄略天皇 三重采女

天皇はこの歌に免じて、采女の罪を許しておやりになりました。

とんぼのお歌
雄略天皇は百二十四歳で亡くなった。

とんぼのお歌 · しまいに

雄略天皇

天皇はしまいに、おん年百二十四歳でおかくれになりました。

うし飼、うま飼
雄略天皇のあとに清寧天皇が即位した。

うし飼、うま飼

雄略天皇 清寧天皇

雄略天皇のおあとには、お子さまの清寧天皇がお立ちになりました。

うし飼、うま飼
清寧天皇の死後、忍海郎女が一時政を執った。

うし飼、うま飼 · 📍 [[大和の葛城の角刺宮]]

忍海郎女

それで、このお方にともかく一時政をおとりになっていただきました。

うし飼、うま飼
志自牟の家で兄弟が王子だと名乗り出た。

うし飼、うま飼 · 📍 [[播磨の国]] · その後まもなく

顕宗天皇 仁賢天皇

われわれ二人は、その忍歯王の子であるぞ

うし飼、うま飼
袁祁王が先に即位し、顕宗天皇となった。

うし飼、うま飼

顕宗天皇

袁祁王はそのことだけはどこまでもご辞退になりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。後に顕宗天皇と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。

うし飼、うま飼
顕宗天皇は近飛鳥宮へ移り、難波王を皇后に迎えた。

うし飼、うま飼 · 📍 [[大和の近飛鳥宮]]

顕宗天皇 難波王

天皇はそれといっしょに大和の近飛鳥宮へお移りになり、石木王という方のお子さまの難波王とおっしゃる方を、皇后にお迎えになりました。

うし飼、うま飼
忍歯王の遺骨を葬り、韓袋の子孫を墓守に任命した。

うし飼、うま飼 · 📍 [[蚊屋野]]

顕宗天皇 忍歯王 (韓袋の子孫)

それで蚊屋野の東の山にみささぎを作ってお葬りになり、さきに、お父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの韓袋の子孫をお墓守りにご任命になりました。

うし飼、うま飼
顕宗天皇は老婆に置目老媼の名を授け、宮近くに住まわせた。

うし飼、うま飼 · 📍 [[お宮の近くの村]] · 天皇はそれからご還御の後

顕宗天皇 置目老媼

「そちは大事な場所をよく見届けておいてくれた」とおほめになり、置目老媼という名をおくだしになりました。そして、とうぶんそのまま宮中へおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり

うし飼、うま飼
顕宗天皇が亡くなり、兄の意富祁王が仁賢天皇として即位した。

うし飼、うま飼 · 八年の間天下をお治めになった後

顕宗天皇 仁賢天皇

天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人もおありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の意富祁王が仁賢天皇としてご即位になりました。

うし飼、うま飼
仁賢天皇は広高宮へ移り、春日大郎女を皇后に立てた。

うし飼、うま飼 · 📍 [[大和の石上の広高宮]]

仁賢天皇 春日大郎女 小長谷若雀命

天皇は大和の石上の広高宮へお移りになり、皇后には雄略天皇のお子さまの春日大郎女とおっしゃる方をお立てになりました。

うし飼、うま飼
袁祁王と意富祁王は志毘臣の家を取り囲み、志毘を切り殺した。

うし飼、うま飼

顕宗天皇 仁賢天皇 志毘臣

そしてすぐに軍勢を集めて志毘の家をお取り囲みになり、目あての志毘を難なく切り殺しておしまいになりました

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