応神天皇
別名:大鞆命 / 応仁天皇 · 所属:天皇家 · 身分:皇子・天皇 · 初登場:朝鮮征伐
神功皇后は筑紫へ凱旋してから子を無事に生み、〈皇后はこれをお名まえにお取りになって、大鞆命とお名づけになりました。すなわち後にお呼び申す応神天皇さまです。〉とされる。父は仲哀天皇である。神功皇后は香坂王・忍熊王の企みを気づかい、喪船に幼い応神天皇を乗せ、亡くなったと告げて筑紫を立った。
やがて大和の明の宮で政を聞き、あるときには近江へ巡幸した。その後、宮主矢河枝媛を妃に迎え、皇子の宇治若郎子をもうけた。応神天皇は宇治若郎子を後継者に定め、〈それから若郎子には、後にわしのあとを継いで天皇の位につかせることにしよう〉と告げた。また、髪長媛を御殿へ召しのぼせた。
武内宿禰を臣とし、田に水を引く池などを掘らせた。百済からは、求めに応じて学者の和邇吉師が渡来し、書物や職工らとともに、酒造りに長けた仁番も来た。応神天皇はおん年百三十で亡くなり、その後、子の仁徳天皇が難波の高津の宮で位についた。
関係の記録
生涯の出来事
- 息長帯媛の子が筑紫で無事に生まれた。(朝鮮征伐 · 📍 筑紫)
- 同席:神功皇后
- 〈するとお子さまは、ちゃんと筑紫へお凱旋になってからご無事にお生まれになりました。〉
- 息長帯媛は子を大鞆命と名づけた。(朝鮮征伐)
- 同席:神功皇后
- 〈皇后はこれをお名まえにお取りになって、大鞆命とお名づけになりました。〉
- 皇后は香坂王・忍熊王の企みを気づかい、喪船を仕立ててお小さな天皇を乗せ、天皇は亡くなったと言いふらして筑紫を立った。(朝鮮征伐)
- 同席:神功皇后
- 〈お小さな天皇をその中へお乗せになりました〉
- 応仁天皇が政をお聞きになった。(宇治の渡し · 📍 大和の明の宮)
- 〈大和の明の宮で、ご自身に政をお聞きになりました。〉
- 応仁天皇が近江へ巡幸した。(宇治の渡し · 📍 近江)
- 〈あるとき、天皇は近江へご巡幸になりました。〉
- 応仁天皇が宮主矢河枝媛を妃に迎え、宇治若郎子が生まれた。(宇治の渡し)
- 応仁天皇が宇治若郎子を後継者に定めた。(宇治の渡し)
- 同席:宇治若郎子
- 〈それから若郎子には、後にわしのあとを継いで天皇の位につかせることにしよう〉
- 応仁天皇が髪長媛を御殿へ召しのぼせた。(宇治の渡し)
- 同席:髪長媛
- 〈それを御殿へお召し使いになるつもりで、はるばるとお召しのぼせになりました。〉
- 応仁天皇の求めで和邇吉師が百済から渡って来た。(宇治の渡し)
- 同席:和邇吉師
- 〈王はそれでさっそく和邇吉師という学者をよこしてまいりました。〉
- 応仁天皇が百三十歳で亡くなった。(宇治の渡し)
- 〈天皇は後にとうとうおん年百三十でおかくれになりました。〉
- 仁徳天皇が即位し、岩野媛を皇后に立てた。(難波のお宮・その一 · 📍 難波の高津の宮)
朝鮮征伐
- 親:神功皇后 〈皇后はこれをお名まえにお取りになって、大鞆命とお名づけになりました。すなわち後にお呼び申す応神天皇さまです。〉
- 親:仲哀天皇 〈それからこの日本の国は、今、皇后のお腹にいらっしゃるお子がお治めになるべきものだ〉
宇治の渡し
- 宮主矢河枝媛と夫婦 〈天皇は、この美しい矢河枝媛を、後にお妃にお召しになりました。〉
- 子:宇治若郎子 〈このお妃から、宇治若郎子とおっしゃる皇子がお生まれになりました。〉
- 子:大山守命 〈あるとき天皇は、その若郎子皇子とはそれぞれお腹ちがいのお兄上でいらっしゃる大山守命と大雀命のお二人をお召しになって、〉
- 子:仁徳天皇 〈あるとき天皇は、その若郎子皇子とはそれぞれお腹ちがいのお兄上でいらっしゃる大山守命と大雀命のお二人をお召しになって、〉
- 臣:武内宿禰 〈武内宿禰はその人々を使って、方々に田へ水を取る池などを掘りました。〉
- 臣:和邇吉師 〈王はそれでさっそく和邇吉師という学者をよこしてまいりました。〉
- 臣:仁番 〈そのとき和邇は、十巻の論語という本と、千字文という一巻の本とを持って来て献上しました。また、いろいろの職工や、かじ屋の卓素という者や、機織の西素という者や、そのほか、酒を造ることのじょうずな仁番という者もいっしょに渡って来ました。〉
難波のお宮・その一
- 子:仁徳天皇 〈皇子はそのとおり、十五人もいらしったごきょうだいの中から、しまいにお父上の天皇のおあとをお継ぎになりました。〉
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『古事記物語』の原文から抽出。Made with Rho MD。