崇神天皇
所属:天皇家 · 身分:天皇 · 初登場:赤い盾、黒い盾
第十代目に崇神天皇がお位におつきになりました。即位後、崇神天皇は大多根子を三輪の社の神主にし、大物主神のお祭りをさせました。〈そのために、やく病はやがてすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。〉
その後、崇神天皇は大毘古命を北陸道へ、その子の建沼河別命を東山道へ遣わし、各地の者たちを征伐させました。山城の木津川では、天皇にそむいて兵を集めた建波邇安王に対し、彦国夫玖命を添えて討伐の軍勢を送り、建波邇安王は矢に射られて命を落としました。崇神天皇には十二人の子があり、皇女の豊鉏入媛は伊勢の天照大神のお社に仕えて祭りを司り、皇子の倭日子命が亡くなった際には、人がきを墓のまわりに埋めるならわしが始まったと語られます。崇神天皇のあとには、子の垂仁天皇が位を継ぎました。〈崇神天皇のおあとには、お子さまの垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。〉
関係の記録
生涯の出来事
- 崇神天皇が第十代目に即位した。(赤い盾、黒い盾)
- 〈第十代目に崇神天皇がお位におつきになりました。〉
- 崇神天皇が大多根子を三輪の社の神主にした。(赤い盾、黒い盾 · 📍 三輪の社)
- 同席:大多根子
- 〈天皇は、さっそくこの大多根子を三輪の社の神主にして、大物主神のお祭りをおさせになりました。〉
- 崇神天皇の祭祀により疫病が鎮まり、天下が安らかになった。(赤い盾、黒い盾)
- 〈そのために、やく病はやがてすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。〉
- 崇神天皇方が建波邇安王を討ち、建波邇安王は戦死した。(赤い盾、黒い盾 · 📍 山城の木津川)
- 同席:建波邇安王
- 〈その矢はねらいたがわず建波邇安王を刺し殺してしまいました。〉
- 垂仁天皇が崇神天皇のあとを継いで即位した。(おしの皇子・その一)
- 同席:垂仁天皇
- 〈崇神天皇のおあとには、お子さまの垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。〉
赤い盾、黒い盾
- 子:豊鉏入媛 〈天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊鉏入媛が、はじめて伊勢の天照大神のお社に仕えて、そのお祭りをお司りになりました。〉
- 子:倭日子命 〈天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊鉏入媛が、はじめて伊勢の天照大神のお社に仕えて、そのお祭りをお司りになりました。また、皇子倭日子命がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋めてお供をさせるならわしがはじまりました。〉
- 臣:大毘古命 〈天皇はついで大毘古命を北陸道へ、その子の建沼河別命を東山道へ、そのほか強い人を方々へお遣しになって、ご命令に従わない、多くの悪者どもをご征伐になりました。〉
- 建波邇安王と敵対 〈そして、山城の木津川まで行きますと、建波邇安王は案のじょう、天皇におそむき申して、兵を集めて待ち受けていらっしゃいました。〉
- 臣:彦国夫玖命 〈そなたはこれから軍勢をひきつれて、すぐに討ちとりに行ってくれ」とおっしゃって、彦国夫玖命という方を添えて、いっしょにお遣しになりました。〉
- 臣:建沼河別命 〈天皇はついで大毘古命を北陸道へ、その子の建沼河別命を東山道へ、そのほか強い人を方々へお遣しになって、ご命令に従わない、多くの悪者どもをご征伐になりました。〉
おしの皇子・その一
- 子:垂仁天皇 〈崇神天皇のおあとには、お子さまの垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。〉
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『古事記物語』の原文から抽出。Made with Rho MD。