顕宗天皇
別名:袁祁王 · 所属:天皇家 · 身分:天皇 · 初登場:しかの群、ししの群
忍歯王の子である袁祁王と兄の意富祁王は、身分を隠して志自牟の家に下男として雇われ、うし飼、うま飼の仕事をしていました。その後、播磨の国で二人は王子だと名乗り出て、〈われわれ二人は、その忍歯王の子であるぞ〉と告げました。
兄弟は朝廷の臣下である志毘臣の家を軍勢で取り囲み、志毘臣を切り殺しました。その後、兄の意富祁王が譲ったため、袁祁王が先に位につき、顕宗天皇となりました。天皇は大和の近飛鳥宮へ移り、難波王を皇后に迎えました。また、蚊屋野の東の山に父の忍歯王を葬り、韓袋の子孫を墓守に任じました。
天皇は、老婆に置目老媼という名を授け、宮中でもてなした後、お宮の近くの村に住まわせました。八年の間天下を治めた後、おん年三十八歳でおかくれになり、跡には兄の意富祁王が仁賢天皇として即位しました。
関係の記録
生涯の出来事
- 意富祁王と袁祁王は逃亡し、志自牟の家で下男として雇われた。(しかの群、ししの群 · 📍 志自牟)
- 志自牟の家で兄弟が王子だと名乗り出た。(うし飼、うま飼 · 📍 播磨の国)
- 同席:仁賢天皇
- 〈われわれ二人は、その忍歯王の子であるぞ〉
- 袁祁王が先に即位し、顕宗天皇となった。(うし飼、うま飼)
- 〈袁祁王はそのことだけはどこまでもご辞退になりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。後に顕宗天皇と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。〉
- 顕宗天皇は近飛鳥宮へ移り、難波王を皇后に迎えた。(うし飼、うま飼 · 📍 大和の近飛鳥宮)
- 同席:難波王
- 〈天皇はそれといっしょに大和の近飛鳥宮へお移りになり、石木王という方のお子さまの難波王とおっしゃる方を、皇后にお迎えになりました。〉
- 忍歯王の遺骨を葬り、韓袋の子孫を墓守に任命した。(うし飼、うま飼 · 📍 蚊屋野)
- 顕宗天皇は老婆に置目老媼の名を授け、宮近くに住まわせた。(うし飼、うま飼 · 📍 お宮の近くの村)
- 同席:置目老媼
- 〈「そちは大事な場所をよく見届けておいてくれた」とおほめになり、置目老媼という名をおくだしになりました。そして、とうぶんそのまま宮中へおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり〉
- 顕宗天皇が亡くなり、兄の意富祁王が仁賢天皇として即位した。(うし飼、うま飼)
- 同席:仁賢天皇
- 〈天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人もおありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の意富祁王が仁賢天皇としてご即位になりました。〉
- 袁祁王と意富祁王は志毘臣の家を取り囲み、志毘を切り殺した。(うし飼、うま飼)
しかの群、ししの群
うし飼、うま飼
- 親:忍歯王 〈その忍歯王の子であるぞ〉
- 仁賢天皇と兄弟 〈例の忍歯王のお子さまの意富祁、袁祁のお二人が、播磨の国でうし飼、うま飼になって、生きながらえておいでになるということはちっとも知らないでいました。〉
- 求婚の相手:大魚 〈そのとき菟田首という人の娘で、王がかねがねお嫁にもらおうと思っておいでになる、大魚という美しい女の人も来あわせておりました。〉
- 志毘臣と敵対 〈志毘は今ごろは疲れて寝入っているにちがいない。門には番人もいまい、襲うのは今だとお二人でご決心になりました。そしてすぐに軍勢を集めて志毘の家をお取り囲みになり、目あての志毘を難なく切り殺しておしまいになりました。〉
- 難波王と夫婦 〈天皇はそれといっしょに大和の近飛鳥宮へお移りになり、石木王という方のお子さまの難波王とおっしゃる方を、皇后にお迎えになりました。〉
- おじ・おば:忍海郎女 〈みんなは、例の忍歯王のお子さまの意富祁、袁祁のお二人が、播磨の国でうし飼、うま飼になって、生きながらえておいでになるということはちっとも知らないでいました。〉
- 後見される人:置目老媼 〈そして、とうぶんそのまま宮中へおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり、毎日一度はかならずおそばへめして、やさしくお言葉をかけておやりになりました。〉
- 臣:(韓袋の子孫) 〈さきに、お父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの韓袋の子孫をお墓守りにご任命になりました。〉
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『古事記物語』の原文から抽出。Made with Rho MD。